日 時:2008年4月21日(月) 13:30~15:50
場 所:京都大学東南アジア研究所二階会議室(E207)
発表者:
ディスカッサント:篠原真毅 (生存圏研究所 准教授)
「"創られた"森林景観 -チンパンジーが住む森のなりたち-」
発表では、科学的な視点での自然保護運動とは異なる、ローカルな視点からの森・チンパンジーと共存していくための知の存在が示され、また、この在来知を理解するために、山崎正和や中島岳志の議論をもとに、保守主義と呼ばれるものとの関わりから議論が展開された。在来知は外圧への抵抗として見いだされるようなものではなく、また抽象的かつ理念化されたものでもない。日常生活の場において歴史的な経緯のなかで存続し得た伝統や慣習のようなものとして在来知を考えていくべきではないかとの見解が示された。篠原氏によるコメントでは、在来知もまた、ユニバーサルな知へと繋がるものではないのだろうか(両者は質的に異なるのではなく、前者にかんしてより多くのデータを集めて条件を明らかにしていけば後者と一体化するのではないか)、そのため、この事例では在来知の有用性が顕著に示されてはいるが、その文脈性や事例の特異性も考えて検討していく必要があるのではないかという点が問題として提示された。この調査事例における森は、山越氏が冒頭で述べたように、チンパンジーの生態環境としてはかなり特異である。しかし同時に、こういった特異性がある森だからこそ調査が可能となり、在来知の存在を示すことができたという経緯もある。この在来知の議論をさらに発展させ、他地域での事例と比較検討あるいは具体的な政策や行為に反映していくのであれば、地域的な特異性と在来知との相関をより明らかにしていける可能性がある。また質疑応答において、在来知を閉じた社会のなかでの知としてみるのではなく、外部との関係性のなかで存在するものとして捉えていくべきではないかとの意見が発せられた。本事例においても、調査者の社会への影響を捨象することはできない。その難しさは山越氏自身も述べていたが、在来地をローカルな知ととらえるのなら、そこに外部からの影響がどのように関与しているのか(していないのか)を考察していかなければならない。そのことに関連して、近代合理的な知をはみ出た現場における知をひっくるめて在来知とよんで良いのか、今後在来知という概念を明確にしていくために、ある程度はっきりと定義していくのか必要があるのではないかという点についても議論がなされた。たとえば外来の知とはどのような関係にあるものを指すのか、在来知の対軸にあるものは何なのかといったことを、今度精緻化していく必要があるのではないか、などの意見もだされた。
(文責・加瀬澤雅人)
「都市のエネルギー需要最適化に向けた住まいの窓利用に関する研究」
発表では、これまでの京都や沖縄でおこなってきた窓利用についてのアンケート調査を地域の気候的な特性とのかかわりから分析し、さらに同様の調査を東南アジアにも広げて考察を進めていく計画が示された。そのことに関連して、コメンテーターの篠原氏は、東南アジアでの調査の前に、機密型の空間における窓の利用形態について欧米で調査をおこなってみてはどうだろうかという提案した。また参加者からは、窓の開け閉めにはたんに快適さだけではなく、地域独自のさまざまな社会形態や心情が要因として関わりあっていることが指摘された。たとえば防犯の問題で、東南アジアでは窓は開けるが、窓枠に鉄格子がつけられている。これは日本人にとっては心理的に快適なものではないだろう。また、南国での生活スタイル、例えば「シエスタ」や「オキナワ時間」などといった慣習、エアコンが普及していない社会とエアコンが日常的に存在する社会とでは暑さへの慣れや適応能力に違いもありうる。さらに、家の構造、建物の並びや都市の構造(風水など)といった、一居住地だけではなく都市や市街区全体からみていく必要があるとの意見も挙がった。これに対して発表者はアンケート調査によって個々人の生活スタイルや社会状況を十分に把握していくことは難しいと返答し、今後こういったさまざまな社会要因や広範な社会性とのかかわりをいかなる方法によって明らかにしていくことが可能になるのか、方法論も含めて議論が交わされた。
(文責・加瀬澤雅人)
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