日 時:2008年5月19日(月) 14:00~15:50 → 時間変更 13:30~15:20
場 所:京都大学東南アジア研究所東棟2階会議室(E207)
話題提供者:清水展 (京都大学東南アジア研究所)
題目:「生存基盤が壊れるということ:ピナトゥボ山大噴火(1991)による先住民アエタの被災と新生の事例から」
【趣旨】
1991年6月の西部ルソン・ピナトゥボ山の大噴火は、同時期に起こった雲仙普賢岳の600倍、20世紀最大規模の爆発であった。その直接で最大の災害を受けたのは、ピナトゥボ山麓で移動焼畑農耕を主たる生業として、自給自足に近い生活をしていた約2万人の先住民アエタであった。彼らの家屋や畑は数十センチから1メートルの灰に埋まり、全員が集落を捨て一時避難センター、さらに再定住地への移住を余儀なくされた。その後も数年にわたり、大雨のたびに繰り返し襲ったラハール(土石流氾濫)によって、集落のほとんどは数十メートルの土砂に埋まった。
今回の発表では、アエタの被災と復興の十年におよぶ歩みを紹介し、生存基盤 が壊れるということがどういうことなのか、逆に彼らにとって生存基盤とは何なのかを考える。また、フィールドワークを主たる研究手法とする人類学者や地域研究者が、災害と関わることによって、「学」そのものにどのような可能性が拓かれるかも考えたい。
【活動の記録】
本発表に続いて「映像なんでも見る会」も開催され、清水氏が監修した『灰の中の未来〜二十世紀最後のアエタ族〜』が上映された。この両者を通じて、ピナトゥボの噴火という突発的な出来事によって、アエタの人々がライフスタイルの変更を余儀なくされたのと同時に、自分たちのアイデンティティを再認識する動きも生まれていることが示された。議論はさらに、我々研究者のフィールドに対するアプローチのしかたについても及んだ。フィールドやそこで生きる人々とは、単なる研究の対象(現地・インフォーマント)としてではなく、さまざまな問題が発生し影響する場・それに関わり合う人々(現場・当事者)としてかかわっていくべきである、と清水氏は主張する。その意味で、「地域」という枠組みも、それぞれの出来事や問題を起点にして捉えていくことが必要となるのであり、そこからは人類学や地域研究の今後の可能性が示唆された。
質疑応答では、災害からの「復旧」という言葉に対して、現状復帰か変化しながらの復興か、どちらを目指すべきかとの問いがあった。これに対し、できる限り現状復帰が理想的であるが、同時に出来事をきっかけに明らかになった問題を解決しながら復帰していく可能性も存在するとの返答がなされた。災害によって当事者たちが様々な外部との関わりをもつようになったこと、彼らの問題が表面化したことは、決してネガティブな側面だけではなく、良い社会・生を生み出すチャンスともなっている。本事例からは、今後各地で起こりうるだろう様々な災害とそこからの回復にたいして、具体的な提言ができるだろうとの期待も寄せられた。
また、出来事を中心とした研究、調査のあり方に対し、フィールドに臨む若手研究者からは、現地に入って研究テーマを発見するスタイルでは問題があるのかという質問が出た。それにたいして、氏自身もまた現地に入ってみて偶然にこの出来事に出会った経緯を述べ、研究者自身の切実な問題関心や現状社会での問題を発端にアプローチしていくことで、社会にたいしての役割を担える学として人類学が鍛錬されていくのではないかと返答した。
さらに、出来事を中心としたアプローチのみでは「持続型生存基盤」研究は成り立たないのではないか、時間的な経過のなかでの長期変動のようなものも視野に入れる必要があるが、それは人類学的な方法からは可能か、という問いが出された。これに対して、人類学においてはむしろ日常性に目を向けていたために清水氏のアプローチが画期的だったことを指摘したうえで、とはいえ多様なアプローチによる研究分野との連携・共同研究によって視座を豊かにしていく必要もある、という意見が出された。
(文責 加瀬澤雅人)
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