現在のところ、ウガンダで調査している日本人研究者はケニアほどには多くはないです。現地調査の際には、それ らの研究者全員がこのマケレレ大学社会科学部(Faculty of Social Sciences)か、マケレレ大学社会調査機関(Makerere Institute for Social Research,略称MISRマイザー)のお世話になっています。調査者は事前の手続きを取って(
手続きに関しては別項目参照)、いずれかの機関に所属し、フィールドに向かうことになります。
マケレレ大学はウガンダがまだイギリスの保護領下にあった時代に創設された東アフリカでは最古の、アフリカ全体でみても屈指の歴史を持つ大学です。
1922年、木工、建築、機械の技術者養成のための小さな単科大学としてスタートしたのち、徐々に専門ジャンルの幅を広げていきます。1945年にはロ ンドン大学と提携を結んだ「カレッジ」となり、ウガンダが独立した翌年の1963年、「東アフリカ大学マケレレ分校」となります(当時の学生数は2000 人ほど)。以来、官僚や政治家、研究者をはじめとした東アフリカ各地で活躍するエリートたちを輩出してきたマケレレは、1970年にウガンダ共和国の国立 大学として独立します。
学説史に名を残すような英米日の東アフリカ研究者たち、とくに、長期現地調査をその方法とする人類学者たちは、現在と同じくこのマケレレに所属し、ここ を拠点として東アフリカの各地のフィールドワークに出かけていきました。調査をもとにした彼らの報告の一部は、マケレレ大学に修士論文や博士論文として提 出され、いまでも図書館に資料として所蔵されています。かつての東アフリカ大学の分校は、ケニア分校がナイロビ大学(別項参照)、タンザニア分校がダルエ スサラーム大学と、それぞれ独立した大学となって、それぞれの国で調査する研究者を受け入れています。
現在、マケレレ大学は文・理11学部と6つの研究機関、5つの付属教育施設を擁した総合大学になっており、学生数は3万人を超えます。1990年代以降 はとくに、大学教育の自由化という運営方針の転換のもと、私費入学制度の導入と夜間部の創設がなされ、学生数は大幅に増加し、現在学生の8割が私費入学者 です。学内には次々に新たな研究棟が建てられ、なかにはJICAの援助を得て建てられたという研究棟もあります。そんな構内を、おしゃれに気をつかうマケ レレ大学生が歩き、マケレレ名物のアフリカハゲコウ(全長1.5mほどのユーモラスな怪鳥)がうろついています。
カンパラの中心にあるタクシーパーク(カンパラ案内のページ参照)から、マケレレ大学構内行きの乗り合いが出ています。乗り合いは正門をくぐって、各学 部の前で乗降が可能で、学生の多くが利用しています。われわれがお世話になっている社会科学部は、キャンパスの中央に位置する時計台の近くにあります。
社会科学部内には、社会学科、政治学・行政学科、社会事業学・社会行政学科、女性学・ジェンダー学科の4学科があります。われわれのカウンターパート は、社会学科の教授であり、社会科学部の学部長を勤めるエドワード=キルミラ博士Dr.Edward K. Kirumiraです。社会学科では、日本でいう社会学、それに社会人類学の教育と研究にあたっています。学科の基本方針では、主に同時代のアフリカ諸社 会の抱える状況や問題を社会学的に扱い、具体的な開発計画や社会問題の解決への貢献という、社会学の実学的な側面への要請が強調されています。
社会科学部の建物はそれほど大きくはないのだが、これらの学部生は合計して5000人もいる(!)ため、建物の付近と中は、訪問するたびにつねに学生で 混雑しています(ちなみに教職員数は15人、2004年現在)。(学部入り口付近の写真) マケレレ大学のホームページのアドレスは以下です。学部別のページもあり、大変充実しています(英文のみ)。
このページの作成に当たっても、一部の情報を大学ホームページから得ました。
http://www.makerere.ac.ug/
(文責:白石壮一郎)
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