井上真悠子(アジア・アフリカ地域研究研究科 アフリカ地域研究専攻)
ケニアの首都、ナイロビの街で最も一般的な交通手段は、「マタトゥ」と呼ばれる乗り合いバスである。屋根とベンチの付いたバス停が建てられているところもあるが、その他にも、人の集まるところ、目印のあるところがいつの間にかバス停となっていることもある。時刻表などはないが、平日であればかなり頻繁にバスが来るので、あまり不自由は感じない。
小型のミニバスから半身を乗り出して、車掌のおにいちゃんがなにやら指を立てている。こっちの兄ちゃんは2本、あっちの兄ちゃんは3本。何を意味しているのだろう?と思ったら、「あと2人乗れるよ」「あと3人乗れるよ」という意味らしい。
ケニアの乗り合いバスは「座席数分しか乗客を乗せてはいけない」という決まりがあるようで、大型のバスだけでなく、ボロボロの小型のミニバスでさえもきちんと乗員数を守っている。お隣の国のタンザニアでは「ドアが閉まること」が最低条件なので、二人掛けの座席に3人座るのはもちろんのこと、込んでいるときには日本の満員電車さながらにぎゅうぎゅう詰めになるほど客を乗せているのに比べたら、ケニアはなんときっちりしていることか・・・と思っていたら、何のことはない、ナイロビの中心街であるシティセンターを出て、郊外に入った途端、マタトゥはドアから人がはみ出すほどの大人数を乗せて走り出した。警察の目が厳しい中心街を抜ければ、ケニアでもやっぱり、乗り合いバスはぎゅうぎゅう詰めになるのである。
ケニアのマタトゥは、車掌と運転手の二人が一組となって仕事をする。バス停の前に降り立って、独特の節をつけて行き先とバス番号、残り人数をくりかえして客引きをする車掌。運転手は、のろのろと前進してみせて、早く出発しようぜ、と、車掌をせかす。車掌はバンバンバン!と車体を叩き、発車しようとする運転手を制止する。ひとしきりこんなやりとりがくりかえされると、ほどほどのところで運転手はのろのろと車を前進させる。すると車掌は客引きを諦めて、低速で走るバスにかけより、ひょいっとバスに飛び乗って、次のバス停を目指す。彼らの背中は、何だかとてもかっこよく見える。
ナイロビ・フィールド・ステーションから街中に行くバスの番号は、46番である。街中の終点はG.P.O(郵便局)だが、街から反対方向の終点は、フィールド・ステーションよりずいぶん遠くにある。街からフィールド・ステーションの近くのバス停までの乗車賃はおおむね20シリングだが、朝晩のラッシュ時には、バスの種類、距離などによって多少値段がかわってくる。シティホッパーという緑色の大型バスや、KBS(ケニア・バス・サービス)という青色の大型バスに乗ると、ラッシュ時にはフィールド・ステーション辺りまでは20シリングだったり、30シリングだったりする。また、フィールド・ステーションよりもっと遠くまで行くには、30シリング、40シリングが必要である。ときどき、車掌のお兄ちゃんが指を2本立てているので、あと2人乗れるのかな?と思ったら、「イシリーニ、イシリーニ、イシリーニ」と、独特の節をつけてつぶやいていることがある。「今なら一律20シリングの時間だよ」ということをアピールしているようだ。これは、ラッシュ時にはほとんど見かけない。また、大型のバスに乗って料金を払うと、20シリングと明記した切符を切って渡してくれるのだが、ラッシュ時には30シリング、40シリングと書いた切符が出現する。
マタトゥと呼ばれるこの乗り合いバスが利用される様子を見ていると、ナイロビの人たちは、どうもシティホッパーやKBSのような大型バスを好んでいるように思える。バス停でバスを待っている人の中には、ミニバスが到着しても無視して、大型バスが到着するのを待っているという人も少なくないのである。たしかに大型バスの方が、座席もきれいで乗り心地も良い。一方の小型のミニバスは、時にはひどくボロボロで、乗り心地もあまり良いとは言えない。ある程度裕福そうな、きれいな服を着たすまし顔の若いお姉ちゃんやお兄ちゃん方は、やはり少し待ってでもきれいで乗り心地の良い方大型バスの方に乗りたがるようだ。
ナイロビはさすが東アフリカで一番の大都会と言われるだけあって、裕福な人もずいぶん多い。だが、裕福なケニア人が増えた影には、低所得者層の増大がある。裕福な人が増えたということは、国民の全員が裕福になったという意味ではなく、貧富の差が著しくなったという意味だ。
ナイロビにいると、外国人よりも裕福なんじゃないかと思うケニア人も多く見かける。彼らはきれいに磨かれた車に乗り、きれいな服を着て、お化粧をして、けっこうな値段のするレストランで食事をとる。しかし一方で、ナイロビの街を取り囲むように7~8つほどのスラムも存在している。その中で最も有名なキベラという名のスラムには、80万人もの人が暮らしているという。ナイロビの高台からキベラスラムを見下ろすと、どこが路地かもわからないくらい、赤茶けたトタン屋根がびっしりと密集している。
隣国のタンザニアは、経済的中心都市であるダル・エス・サラームでさえ、ナイロビに比べればずいぶんと貧しいような印象を受ける。しかし、ダル・エス・サラームには、カリアコーと呼ばれるダウンタウンや、ウスワヒリーニと呼ばれる必ずしも裕福ではない人が住むエリアなどはあるものの、ナイロビのような大規模なスラム街というものは、聞いたことがない。
東アフリカでは、援助を志す外国人も、自国を愛するアフリカの人たちも、皆「マエンデレオ(開発・進歩)」を信じて頑張っている。だが、大都会となったナイロビは、今、大きな貧富の差をみせている。これが「マエンデレオ」の成功例なのかどうか、私にはわからない。富裕層の人々は、成功例だと言うだろう。低所得者層の人も、もしかしたらそれでも田舎よりはナイロビのスラム暮らしのほうが良いと言うのかもしれない。貧しくなくなるということは、たしかに、幸せに近づくための一つの手段なのかもしれない。しかしそのためには、一部の富裕層だけがより富むのではなく、国全体の底上げが必要であろう。
ちなみに、ナイロビのマタトゥの車掌には、女性がずいぶんと多い。また、信号待ちや渋滞の車を対象に路上で物を売る仕事や、私はまだ見たことはないが、車掌だけでなくバスの運転手にまで女性の社会進出がおこっているらしい。お隣の国・タンザニアでは、路上商人や運転手どころか、車掌すらも女性をみかけたことがなかったし、日本でも女性のタクシードライバーをみかけるようになったのはごく最近のことだ。バスの運転手ともなれば、私は今のところ日本で女性のそれを見たことがない。
豊かだろうが、貧しかろうが、どんな状況でも女性は強いものである。バスの中で偶然となりあわせた可愛いお姉ちゃんに「今さっき刑務所から出所したばかりで、バス代が無いの」と相談された時には、さすがにちょっとびっくりしたけれど。ナイロビの女性は、おばちゃんもお姉ちゃんも、みんな元気だ。
ナイロビの街を走る「シティホッパー」
ナイロビの渋滞は、時として凄まじい
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