まず第1部では、「生活基盤とリスク」というテーマで、3つの報告があった。市野澤氏は2004年末のインド洋津波後のプーケット日本人社会の事例をもとに「リスク化」のプロセスを整理し、松村氏は自身がJICA専門家としても関わるバングラデシュの地下水砒素汚染を事例に、どのように問題が発見され、行政や住民によってどのような対応がとられているかを論じた。福井氏は日本の高齢者の問題を取り上げ、それがリスクとして立ち現れてしまっている現状を説明し、それに向けたひとつの対応のあり方としての認知症患者会の事例を紹介した。コメンテーターの清水展・東南研教授は、戦後の世界情勢を踏まえて現代のリスクという問題を位置づけたうえで、とくに市野澤報告と松村報告について、それらが既に発生している問題でありながら、果たして「リスク」と呼べるのか、という問いを投げかけた。フロアからも、「リスク」という枠組みにおける「人類学的」研究の特徴は何かについて質問が出た。
第2部は、「生命とリスク」というテーマで、3つの報告があった。松尾氏はインドの生殖医療(とくに代理懐胎)の事例について説明し、そこにおいてむしろ「リスク」が不在のように見えることを指摘した。新ヶ江氏は日本の男性同性愛者をめぐるHIV感染予防のメカニズムを取り上げ、そこでいかにHIV感染予防をし、健康に配慮する主体が作り上げられるかを分析し、問題はむしろそこに入ってこない人々である、と指摘した。西氏はエチオピアのグラゲの事例を扱い、そこではHIV感染者を排除せず、地域社会の関係性のなかに包み込むようなアプローチがなされていることを説明した。コメンテーターの加藤秀一・明治学院大教授からは、科学的なデータだけでは対応できない、宗教や生命倫理などといった問題を、人類学で且つ多義的なリスクという概念をあえて用いることによって何が見えてくるのか、という問いかけのもと、各事例の内容について、突っ込んだ質問がなされた。第3部は「リスク社会の隘路」として、2本の報告があった。木村氏は既存のリスク研究を整理したうえで、人類学的リスク研究のありうべき方向性についての見解を示した。東氏は「リスク社会」の問題点を指摘したうえで、そこから「逃れ」たり「降り」たりすることでは解決にならないが、リスク社会から「旅立」ち、他者とかかわることで、リスク社会を越えるものを見いだせるかもしれない、と論じた。これに対し、コメンテーターの三上剛史・神戸大教授からは、リスク社会学における公共性理論が行き詰まりを見せる中で、人類学からオルタナティブな構想が出てくることへの期待から、二つの報告で可能性として示されていることに対し、より具体的な内容を示してほしい、という意見が出された。
以上を踏まえた総合討論では、本シンポジウムから一つの方向性として示された、リスクに立ち向かうための人々のつながりと、その可能性について、人類学的なアプローチが持つ強みは何か、ということを確認しながら、様々な意見が交わされた。
本シンポジウムは人類学から、今まで取り組まれていなかったリスクという問題にアプローチする出発点としては、それなりに成功していたといえる。しかし、このシンポジウムを通じて、この研究のもつ潜在的な可能性とともに、人類学的研究におけるリスクという枠組みの有効性(あるいは「リスク」という概念の位置づけ)、や「人々のつながり」の可能性など、いくつかの重要な課題もまた明確に示された。
(文責者 木村周平)
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