日 時:2009年1月20日(火)14:00-16:00
場 所:京都大学川端キャンパス稲森財団記念館3階小会議室(331号室)
※稲森財団記念館は、川端通沿い(近衛通角)にあります。
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/access/campus/map6r_b.htm
報告者:
報告1「災害から見る生存基盤のネットワーク(仮)」
木村周平(京都大学GCOE助教)
「生存基盤」とは、折り重なる圏(spheres)を横断して広がる、ひとを取り巻く事物や環境とのつながりのことである。科学技術の発展、社会の複雑化や時間-空間の圧縮など、現在進みつつある急激な人間圏の再編のなかで、そうした生存基盤としての<つながり>のあり方はどのように変容し、またいま現に形成されつつあるのだろうか。本発表ではこの問題を、トルコ・イスタンブルとその周辺地域に焦点を当て、地震や火災などの生存基盤を脅かす諸問題への対応の事例をつうじて考えたい。
報告2「ウイルスと民主主義:エチオピアのグラゲ県住民によるHIV/AIDSへの取り組みの経験」
西真如(京都大学GCOE研究員)
「デモクラシー」と「サスティナビリティ」という二つの概念は、多くの局面で相対立するように見える。とりわけHIV/AIDSは、両者の対立が顕在化するフィールドである。持続的な社会は、ウイルスを排除することで可能になる(ように思われる)が、それに対して民主的な社会は、ウイルスとともに生きる人びとを受け入れるように要求する。近年では医療技術の進歩によって、個々の人間はHIVとともに数十年も生きることが可能になった。人間の社会は、持続的でしかも民主的な方法で「ウイルスとともに生きる」ことができるのだろうか?エチオピアのグラゲ県住民によるHIV/AIDSへの取り組みの事例から考えたい。
発表と議論の内容:
両発表に対して、出席者からは多くの課題が示された。
まず、イスタンブルの歴史をたどりながら人間圏と地球圏のつながりについて考察するという木村発表に対しては、発表時間が限られていることを考慮し、話の道筋をよりシンプルかつ具体的にするべきだという意見が示された。特に住民組織の事例においては、数字や組織構造などをもう少し明確に示さなければ聞き手には理解することが困難である、というコメントがあった。それに加えて、多用される「つながり」という言葉についてはもう少し吟味する必要があること、また日本でトルコの震災の事例を話すときには、やはり日本の事例との距離についてきちんと考えたうえで話す必要があること、などの意見が出た。また、方向性として、(1)科学とは異なる(ずれる)知識のあり方が現実的には必要であるし、実際に広まっているという現状、(2)地球圏のメカニズムに人も乗っかることで、人びとのつながりも豊かになるという主張、をより明確にするべきではという提案があった。
つぎに西発表に対しては、発表中で示されたHIV/AIDSに対する「個人アプローチ」と「リスク・アプローチ」との対比が、報告の主題である民主主義の問題とどう関係するのかわかりにくいというコメントがあった。加えて、HIV/AIDSに対する地域住民の取り組みとして示されたふたつの事例(結婚前検査運動と「となりの庭畑を耕す」運動)が、それぞれ「個人アプローチ」と「リスク・アプローチ」のいずれに該当するのかを明確にすべきだというコメントがあった。加えて、民主主義と持続性の問題を取り扱うのであれば、陽性者の生計を支持することの必要性を訴えるだけでは不十分であり、HIV/AIDSの問題に対して誰がどのような責任を負うのか、さらにはどのような政策ないし制度を提案するのかを明確にしなければならないという意見が述べられた。
サイト管理者はコメントに関する責任を負いません。