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「古典のなかのアジア経済史」 [ 共同研究:第8回 ] (イニシアティブ1 研究会)

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日 時:2008年11月29日(土) 14:00~
場 所:人文科学研究所、102室

報告:谷口賢次(大阪市立大学経済学研究科 博士後期)

論題:「H.V. Bowen 論について」
Revenue and reform : the Indian problem in British politics, 1757-1773/ H.V. Bowen. --(BA13306481)Cambridge [England] ; New York : Cambridge University Press, 1991.
The business of empire : the East India Company and Imperial Britain,
1756-1833 / H.V. Bowen. -- (BA75470043) Cambridge : Cambridge University Press, 2006
Elites, enterprise and the making of the British overseas empire,
1688-1775 / H.V. Bowen. -- (BA28436298) London : Macmillan New York : St. Martin's, 1996
〈論文〉
The worlds of the East India Company / edited by H.V. Bowen, Margarette
Lincoln and Nigel Rigby. -- (BA58100784)Woodboridge : Boydell Press, 2002
'British India, 1765-1813. / H.V. Bowen.', The eighteenth century / P.J.
Marshall, Oxford University Press, 1998
Sinews of trade and empire: the supply of commodity exports to the East
India Company during the late eighteenth century/ Economic History
Review, LV, 3, 2002.
主に最初に挙げたRevenue and reformと今加えた論文、これにもう一つ論文か
本の1~2章をまとめた内容にしたいと考えています。
 

【活動の記録】

今回H.ボーエンを選んだのは、彼が18世紀後半のイギリス東インド会社(以下EICと略す)の変化を論じたためであった。彼の議論を特徴付ける点は次の三点である。第一に、彼がEICを経営し・会社史の視点で分析した点である。第二に、そこから本国本社機構(取締役会)─支店機構(ベンガル政府)という関係を浮かび上がらせたことである。第三に、18世紀後半のベンガルの植民地化においてEICはガバナンス(植民地統治)とコーポレート・ガバナンス(企業統治)を十全に分けることが出来ていなかった点である。これらは従来の18世紀ベンガルの植民地史、あるいはイギリス帝国史で述べられてこなかった点であった。 ここからH. ボーエンは三つの論点を提示した。第一に、プラッシーの戦い(1757年)以降、EICは統治機関の役割を担うためにゆっくりと変化していった、という点である。従来、1757年以降EICは統治機関として急速に変化したと論じられてきた。しかし、彼は経営史の観点からEICの統治機関への移行が困難でゆっくりとしたものにならざるを得なかったと論じた。

こうした視点は南アジアやベンガルにおける「18世紀再検討論」と軌を一にしている。それは、当時の南アジアはムガル帝国衰退後も経済、政治、文化の諸分野でゆっくりと成長や変化を続けていた。また、ベンガルも18世紀後半に経済発展は見られ、植民地化の深化はゆっくりとしたものであった、という論であった。
 
第二に、EICが18世紀後半にあっても、商社としての顔を失ったわけでなかった、という点である。従来、統治機関としての機能が増すにつれて商社としての機能は弱まったと考えられてきた。しかし、彼は18世紀末であってもなおEICは貿易、特にアジアへの輸出貿易に力を入れていたと論じた。これはこれまでの英国産業資本とEICの対立の図式に疑問を投げかけた議論であった。
 
第三に、上記二点からEICと本国との関係が常に親密であり、EICの活動は常に本国の動向に左右されていた、と論じた。それは、これまで南アジア植民地史で重視されなかったEICと本国の連続した関係をとりあげ、それが重要な役割を担っていたことを示している。
 

(文責者 籠谷直人)

 

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