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"New Approaches in Central-South Asia and Middle Eastern Scholarship"[ Middle East & Asia Studies Workshop ] (イニシアティブ1 研究会)

活動の記録>>

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/en/article.php/20090207

日 時:2009年2月7日(土) 9:50-18:45
2009年2月8 日(日)10:00‐19:00

場 所:東京外語大学、府中キャンパス、4F, Room (401-3)

趣旨:
 本国際ワークショップは、イラクの経済史を専門とする英国エクセター大学のカーミル・マフディー教授を招聘し、中東・中央アジア・南アジア・東南アジアにおける社会・経済・政治変容にかんする様々な事例研究を比較検討することを目的とした。また、各報告者は、招聘したカーミル・マフディー教授からの、社会経済的なコメントを受けて、今後の研究の発展の一助とし、さらにGCOEのワーキングペーパーおよび投稿論文に反映させることを目的とした。 院生および若手研究者研究者にとって、最先端で活躍するエクセター大学の教授から丁寧にコメントを受けることは、研究の発展上きわめて有意義なことと考えられる。




【活動の記録】

  本ワークショップは、2日間にわたり、6つのセッションで実施された。以下、セッションごとの報告の概要と議論を簡単に振り返りたい。

第1セッションは、イラクにかんする報告が2本で構成されていた。第1の報告では、1990年代イラクのバアス党権威主義体制下で発生した社会運動が取り上げられ、権威主義体制下で厳格に管理・抑制されていたはずのイラクで、なぜイスラーム主義を掲げた社会運動が大きな動員力を持つにいたったか、という問題が分析された。そこでは、バアス党政権の政策とイスラーム主義社会運動の戦略の奇妙な一致があったと指摘されたが、より緻密な政治経済構造との関係を明示するべきとのコメントが挙げられた。第2の報告では、2003年の米軍によるイラク侵攻ののちに、2006年以降に国内避難民が急増したのはなぜか、という問題が論じられた。そこでは、2006年に発生したシーア派聖地への爆破事件が宗派対立を醸成する大きな契機となったことが結論されたが、実際は宗派主義ではないとの議論も展開され、どちらがテーマなのかを明らかにするべしとのコメントが挙げられた。

第2セッションは、キルギスタンとインドネシアの事例が報告された。第1のキルギスタンの報告では、議会政治の性格が、氏族を中心とするものから、政党政治へと変化したことが、議員のプロフィールや計量分析などを巧みに用いて証明された。論旨は極めて明確で、主張もクリアだったが、議員のプロフィール分析に用いたデータの提示がなかったために、分類の妥当性に対する疑問が提示された。第2のインドネシアの事例では、カイロのアズハル大学に留学したインドネシア人留学生が、帰国後にインドネシアのイスラーム高等教育にどのような影響を与えているかを分析したものであった。若手の留学生を中心に、祖国から遠く離れたカイロで、インドネシアのイスラーム実践の多様性に触れたのち、祖国でその多様性を架橋する形でインドネシア的なイスラーム教育を再構成していく姿が描かれた。 

  第3セッションは、パキスタンの国家形成についての報告がなされた。そこでは、パキスタンの独立は、ムスリムを国民として規定する力学が働いたことを受けて、パキスタンをムスリム国民国家とする分析視覚が提示された。これに基づいて、パキスタン建国史を丹念にまとめた報告となった。それに対して、パキスタンの現代史を、端的に言えば、ムスリム国民国家として分析する妥当性に対する慎重な姿勢を促すコメントが挙がった。

第4セッションでは、ボスニアとインドの事例が報告された。ボスニアの報告では、内戦の歴史が、映画制作を通じて国民の共通した歴史認識を再構築していった、という趣旨で行われた。ただし、映画制作とその説明からは、具体的にどのようにナショナル・ヒストリーが再構築されていった、言い換えると、個人の記憶をナショナルなものに再構築したのか、ということが実証的に示せていないとのコメントが挙がった。インドの事例では、かつて農村部の卑猥な芸能であったものが、都市化にともなって都市の上品な芸能へと変容したと結論された。その背景には、1990年ころからの新・新中間層の台頭と、彼らの都市への移動があったという。

第5セッションでは、アルジェリアとシリアの事例が報告された。アルジェリアの報告では、反仏植民地主義闘争の指導者の思想が取り上げられ、彼の反植民地闘争が後の哲学者としての思想にいかなる影響を与えたかについて、歴史資料を用いた報告が行われた。しかし、その活動と思想を再構築する際のオリジナリティーをどのように出していくかについて、活発な質疑が行われた。シリアの報告では、1980年代にシリア国内のシーア派の聖地への巡礼者が増加した原因を、観光産業の強化という政策に求める議論が展開された。これに対して、具体的な統計データの提示が必要であり、必ずしも観光産業の強化が主たる原因との実証が明示的ではないとのコメントが挙げられた。

第6セッションでは、スーダンとクウェイトの事例が報告された。スーダンの報告では、平和構築のプログラムがなぜ権威主義体制下でのみ受け入れられたのか、そしてそのプログラムがけに主義体制にどのような影響与えたのか、という問題が分析された。そこで明らかにされたのは、平和構築のプログラムが政党制の付与などの点において体制にプラスの影響に働き、その結果、逆に権威主義体制を強化する作用をもたらしたことが明らかにされた。クウェイトの事例では、イスラームは民主主義を阻害するか、という問題を一旦棚上げにし、イスラーム主義組織がどのように政治参加を行っているかという実態を分析することに主眼が置かれた。その手段として、女性組織の政治参加が取り挙げられたが、イスラーム主義を掲げる女性組織の政治参加だけで、ひろくイスラームと民主主義の関係に議論を発展させていけるのか、などのコメントが寄せられた。

最後に、カーミル・マフディー教授によるキーノート・スピーチでは、イラク政治の現在と占領政策にかんする詳細なデータが提示された。イラク政治に限らず、外国軍の占領と紛争、紛争後の平和構築に興味を持つ出席者にとって、イラクの事例は極めて有益な情報となった。

多様なテーマに触れる機会としての有効性に加え、異なるディシプリンを持つ報告者が中東経済史研究の最先端で活躍する研究者からの示唆に富むコメントを受けることができ、非常に有意義なワークショップとなった。
 

(文責:山尾 大)

 

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