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「ベトナムにおける族結合の出現とその確立についての一試論」[次世代の地域研究研究会](関連する学会・研究会)

日 時:2009年2月24日(火)  13:30~18:00
場 所:京大東南アジア研究所 稲盛財団記念館 小会議室330

報告者:
蓮田隆志 京大東南アジア研究所
「ベトナムにおける族結合の出現とその確立についての一試論」(仮)

太田信宏 東京外大アジア・アフリカ言語文化研究所
「近世南インドにおける権力者の生き残り戦略」(仮)

コメンテーター:
坪内良博 甲南女子大学
江藤彰彦 久留米大学経済学部


1)蓮田報告
「ベトナムにおける族結合の出現とその確立についての一試論」(仮)

要旨
現代北部ベトナムの村落社会を見る上で重要な要素にゾンホdonghoという
父系同族集団がある。ゾンホはしばしば無前提・非歴史的にベトナム人の
伝統的親族組織形態とみなされてきたが、日本の研究者は現地調査を通じて、
ゾンホ成立・普及の歴史性を明らかにしてきた。また、90年代以降頓に盛行を
見せた近世論においては近現代の人間が「伝統」と見なす諸要素が成立する
時代として近世を捉える視角が提起された。

現在ゾンホと称される人的結合形態の成立・普及において階層差・時代差が
あったことはもはや明白といえるが、ある特定の同族結合形態が、族の資力や
文化資本蓄積の度合いに応じて水が低きに流れるように支配階級から庶民へ、
中心から周縁へと普及していったとも限らない。成立の契機や形態・性格・自己
規定などにおいて別種であった各種同族結合が歴史を通じてゾンホという概念
に収斂した可能性もまた考慮せねばならない。だが、各歴史段階・各階層・各地
域のゾンホ乃至同族結合が何を契機として成立し、いかなる回路を通じて維持・
強化されてきたのか/こなかったのかは十全に明らかにされたとは言い難い。
かかる課題に答えるためには、族結合の出現・展開を個別の族ごとに跡付け・
分析し、それら集積してゆくほか無いのが現段階である。

ベトナムにおいては、16世紀初頭に始まった戦乱で前期黎朝が倒れたが、
これを奪った莫朝と後期黎朝の並立・抗争、莫朝没落後は後期黎朝の正朔を
奉じる鄭氏政権と広南阮氏との戦争が開始されるなど、100年以上に渡って
戦乱が継起し、これに伴って支配階層の大幅な入れ替えが起こった。本報告
は家譜史料に依拠しつつ、良舎鄧氏という一族を主として取り上げ、その族結合
の成立・展開そして族としての自己規定に注目しつつ族人の行状を具体的に跡
づける。鄧氏は16世紀半ばに歴史の表舞台に登場した新興勢力であるとともに、
18世紀末まで後期黎朝の政権中枢に座を占めた名族でもある。かかる一族の
勃興・盛衰を闡明することは上記課題の一端に答えるとともに、後期黎朝におけ
る支配階層の性格を明らかにし、王朝の政権構造解明にも資することになろう。

2)太田報告
「近世南インドにおける権力者の生き残り戦略」(仮)

要旨
本報告では、近年のインド「近世」史研究の動向を整理・紹介したうえで、近世期
インドの重層的かつ競争的な政治体系のなかで権力者が自らの存続を図るため
にとった戦略について、文化的価値に関わるものを中心に、南インドから事例を
とって検討する。最後に、他地域の研究を参照しつつ、インド「近世」史研究の
意義と可能性について考察する。

インド史研究において、19世紀からのイギリス植民地期=近代に直接的に先行
する時代を、どのような時間的枠組みで区切り、どのように呼ぶかについて、研究
者間に明確な合意は見れない。ムガル朝衰退とイギリス=インド帝国成立とに挟
まれた18世紀は、かつては政治的混乱と経済的衰退の「暗黒」時代と捉えられる
ことが一般的であった。しかし1980年代以降、そうした捉え方の見直しが大幅に
進み、経済的発展の持続や、各地の自立的地域政権下の支配体制再編などが
指摘されている。そうした18世紀の動向の中に、植民地期近代と連続する側面を
見出す見解が提起され、活発な議論が繰り広げられている。その一方で、18世紀
と先行するムガル朝盛期との関係については、農村地域における在地有力者層
台頭といった両者を貫通する事象の指摘と並んで、18世紀独自の発展を強調する
見解もみられるが、あまり論じられていないのが現状である。政治・経済を中心と
した歴史研究の中で、18世紀は植民地期近代との連続/断絶の視点から論じら
れることが多く、先行するムガル朝盛期と一括して「近世」と把握する見方は必ず
しも一般的ではない。

一方、文化史研究では近年、16世紀から18世紀における新たな展開に着目する
論考が数多く発表され、「歴史」意識の高揚や、既存の学術的体系に対する批判
的再考などが指摘されている。しかしこうした新たな文化的諸潮流の相互関係、
社会的文脈との関わりについては、今後の検討課題として残されている部分が
多い。このように近年のインド史研究では、「近世」という用語が一般化し、植民地
化直前の数世紀を対象とする研究が活発化・多様化しているものの、全体的な
「近世」像が描かれるには至っていない。

こうした研究動向を紹介したうえで、本報告では16世紀から18世紀の南インドに
おいて、権力者たちが勢力争いを繰り広げる中で、自らをその他の権力者や社
会集団、諸制度(宗教的権威を含む)との関係性の中でどのように位置づけ、
「正統化」しようとしていたのか、文化的価値に関わる次元での生き残り戦略を
検討する。戦略の多様性・多元性を確認した上で、そうした多様性・多元性が
見られる近世を、「近世」というひとつの時代区分で括ることの意義と可能性
(あるいは限界)について、南アジア以外の地域を対象とする近世史研究を参照
しつつ考察する。



 次世代の地域研究研究会
小林 知
河野元子


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