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「トランスサイエンスとは何か:STS的視角から」[第19回研究会] (G-COEパラダイム研究会)

活動の記録

日 時:2009年6月15日(月)  16:30~18:30(その後懇親会あり)
場 所:京都大学 宇治キャンパス 生存圏研究所 木質ホール
http://www.rish.kyoto-u.ac.jp/access.html
(キャパス内地図 4番)

講師:小林傳司(大阪大学 コミュニケーションデザイン・センター ) 
内容:トランスサイエンスとは何か:STS的視角から
コメンテーター: 生方史数(京都大学東南アジア研究所 ), 篠原真毅(京都大学生存圏研究所)

現代、科学技術の発展は目覚ましく、グローバル化もあって、その地域社会への影響はますます大きくなっている。それに対し、従来の地域研究においては、科学技術は、外部からもちこまれた、いわば「所与」のものとされ、分析対象からはずされるか、あるいは社会をかき乱す悪者として論じられることが多かった。しかし、環境問題等のさまざまな解決困難な問題を抱えた現代社会において、生存基盤持続型の地域研究を推し進めるためには、そうした姿勢は再考されなければならない。そして、在来の知にひそむ英知との「接合」についても、より本格的な議論が進むことが期待される。
今回のパラダイム研究会ではSTS(科学技術社会論)の立場からの発表をもとに、科学技術の研究や応用と社会との関係についてより深く理解し、そのうえで両者が共存・協働していくことについて考えたい。


[講演要旨]
STS(Science, Technology and Society)は日本では、科学技術社会論と訳されているが、1970年頃から胎動が始まった新たな研究領域である。その研究対象は科学技術と社会の界面に発生する諸問題を、学際的にそして実践的関与の市政も伴いつつ、研究することを目指している。科学技術を対象とするという意味で、科学技術研究そのものではなく、メタ的にかかわるという点で、科学哲学や科学史、科学社会学との親近性がある。同時に、現代的諸問題に関して、可能であれば処方箋的な成果を挙げることも目指そうとする点で、政策学的側面も併せ持っている。
本発表では、なぜ、1970年頃にこのような学問領域が立ち上がっていったのかを概説し、これもまた1970年頃に生まれた「トランスサイエンス」という考え方を紹介する。とりわけ注目したいのは、科学技術がもつ社会的意味の大きな変容が1970年頃に生じていたにもかかわらず、それが十分意識化されず、1990年代まで持ち越されたという点を示したい。その上で、科学技術と社会の関係にまつわる現代的問題に関して、STS的アプローチの特色を述べたい。

【活動の記録】

発表者はまず、自己紹介も交えながら科学論(文学者と物理学者の間の断絶を論じるC. P. スノウの『二つの文化』、科学者共同体の規範と構造を論じるマートンの科学社会学、そしてクーンの『科学革命の構造』など)の概説を行い、クーンが本来は「パラダイム転換」よりも「通常科学」と彼が呼ぶ状況の知識生産の効率性を重視していたにもかかわらず、1960から70年代の時代状況によって前者が注目を浴びた、という解釈を示した。

この1970年代に高まった科学批判は、日本においては大学から離れ、在野に向かう傾向があったが、欧米では大学内に残り、制度化していった。それが「科学技術の社会的側面についての人文・社会科学的な研究・教育」としてのSTSである。このSTSについて、発表者は自身の『科学見直し叢書』の刊行やコンセンサス会議の実践などについて紹介した。
 

そのうえで、「科学に問うことはできるが、科学が答えることができない問題群」としての「トランス・サイエンス」という概念を説明した。たとえば原子力発電所において、複数の箇所が同時に故障する確率はきわめて低いということは科学者間でも合意は得られるだろうが、それをどう評価すべきかは判断が難しい。あるいは、BSEに関連したアメリカからの牛肉輸入再開の判断も、科学と政治の入り混じった問題である。こうした事例のように、近年特にシステムの不確実性が高く、社会的な利害関係が複雑で大きい領域が広がっており(これをSHEE Sciences: The Sciences of Safety, Health and Environment plus Ethicsと呼ぶ)、社会と科学技術のよりよい相互理解と協働の必要になっている、と発表者は主張した。

以上の説明は発表者の実体験も交えた分かりやすいもので、また文系理系の双方に対する行き届いた配慮もあって、多くの聴衆の関心を惹きつけた。また発表者は、人文社会系と理工系の垣根を取り払う「文理融合」は不可能であるが、しかし両者の間の壁が「ベルリンの壁」になってはならず、ドアを開けて出入りできるような関係であるべきだ、という主張も示した。

これに対し、コメンテーターの生方氏は、アジア・アフリカ地域における科学と社会のあり方について、ユーカリ普及についての論争の事例も交えながら質問した。いわゆる途上国では欧米以上に科学と社会のギャップが大きい。科学を支える制度は弱いが、一方で科学以外の知は厚い。そのギャップを考える際には何に注目していったらよいのか、という問いを示した。

もうひとりのコメンテーターの篠原氏は、「科学技術」ではなく、「科学・技術」というように区別するべきでは、と指摘したうえで、問題を科学と技術と社会と人間の四者の関わりとして置きなおした。さらに、人間のなかの変わりやすい部分ではなく、より本性的な変わりにくい部分に注目する必要を指摘し、事例として科学的な知の発見と実用化の間のタイムラグを挙げて、これをどう捉えるべきかという問いを示した。

以上のコメントに対し発表者は、科学を母国語で行える国が少ないという点を指摘し、アジア・アフリカ地域に対する日本の位置、知的責任を考えるべきだと述べた。加えて、アジア・アフリカ地域に関しては、適正技術の問題も重要であり、本来はローカルナリッジを組み込んだものにしていかなければならないが、なかなかそれが実現されていない。STSはその掘り起こしを進めようとしているが、それだけでなく、ローカルナリッジを追及するための科学も必要だろう。

また科学技術においては、「unknown unknown」、つまり何が分かっていないかがわかっていない、というのが一番問題であり、それについて合意形成はきわめて難しい。だから本質的には政治的な解決しかないだろうが、むしろ、科学の失敗がなくならないという理解を共有し、合理的に失敗するための合意が必要なのではないか、と述べた。 

それから篠原氏のいうタイムラグに関しては、基礎→応用というプロセスを単線として考えるのではなく、どういう形でイノベーションがなされるかを考えるほうがいいのでは、と述べた。さらに、「人間の変わらない部分」についても、そうだったはずの脳や心も科学技術が入ってきているという事実を指摘し、状況が複雑であると述べた。

フロアとの質疑応答においては、文系のタコつぼ化の進行についての指摘や、文系/理系のなかでの多様性、両者の対称性の難しさ(経済政策などの文系の失敗に対する責任は問われない仕組みになっていること)などが議論された。また、文理をつなぐことを阻害している要因として、評価システムの違いが挙げられ、そうした努力が“おまけ”のような扱いになり、“本業”で評価されにくいことが指摘された。加えて、STSの視角について、生態環境を考慮することと、企業や市場も視野に含める必要があるのでは、という指摘もあった。

今回の研究会は、本プログラムの根幹である文系と理系の相互理解を進める上できわめて有意義な議論がなされたように思われる。ただ一方で、両者の間を埋める万能の解決策もないことが明らかになった。今後は今回の議論を踏まえながら、具体的な研究実践を通じて、文理をつなぐ努力がなされていくべきであろう。
 

(文責 木村周平)

 

  • 「トランスサイエンスとは何か:STS的視角から」[第19回研究会] (G-COEパラダイム研究会)
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