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「中国西南地域少数民族におけ る民族の表象と実践」[第1回 東南アジアの跨境域を流動する人々研究会](関連する学会・研究会)

日 時:7月16日(木)15:30~18:30
場 所:京都大学東南アジア研究所 稲盛記念館3階小会議室

【プログラム】
15:30~16:10
報告1 堀江 未央 (京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)
「『ラフ族史』の歴史叙述とその背景-改革開放期中国における少数民族の自己表象-」

16:20~17:20
報告2 宮脇 千絵 (総合研究大学院大学)
「表象と実践のあいだ-ミャオ/モンの民族衣装の変化に関する人々の価値観-」

17:30~18:30  コメントと討論
コメンテーター   兼重 務(滋賀医科大学)
長谷 千代子(九州大学)

【要旨1】
文化大革命の終了と改革開放以降、中国では民族文化尊重の風潮が高まり、多様な民族文化を保護・掲揚しようという動きが活発に起こっている。
そのなかで、少数民族知識人たちは盛んに自民族の文化を研究発表し、民族文化をアピールしている。本研究では、そのような自民族表象の事例として、2003年に雲南省瀾滄ラフ族自治県の幹部によって執筆された『ラフ族史』の編纂に着目する。この書物はラフ族の神話伝説をもとにして歴史を描いており、他の歴史書籍とはその手法において大きく異なっている。ラフ族の来歴を跡づける作業のなかで、なぜ彼らが神話伝説を用いたのか、それは以前の歴史とどのように異なるのか、そして、唯物史観を掲げている中国においてなぜそれが可能になったのか。以上を分析することにより、『ラフ族史』の執筆者たちが何に対してどのような歴史を描こうとしたのかを検討する。

タイやミャンマーに居住するラフ族のあいだには、「失われたラフのくに」についての神話語りが存在すると言われる。それは「歴史のようでもあり神話でもある」と分析され、彼らの過去に関する語りと捉えることができる。しかし、中華人民共和国において、神話的要素を含む語りは永く「民間文学」として取り扱われてきた。特に左傾化の進む大躍進以降、少数民族の神話語りは「封建迷信」や「宗教的要素」を取り除かれ、社会主義建設という命題に照らし合わせて解釈されてきた。その一方で、国家事業として編纂されたラフ族の歴史は、漢籍文献や民族学・考古学・言語学に基づいて描かれながらも具体性に乏しく、原始社会から社会主義段階へと移行する発展段階論的な説明が顕著に用いられたものであった。

1980年代になると、民族政策の回復と並行して、少数民族民間文学を単なる文学としてだけではなく、民族研究の対象として捉えようとする動きが現れる。『ラフ族史』は、民間文学から民族移動史を探るという新たに登場した手法を用い、12年の調査研究の末に緻密な歴史的移動経路を地図上に描き出している。執筆者たちは新たな手法を採用することによって、既存の歴史書籍より具体的な記述を目指すと共に、永く文学として扱われ、史実とみなされてこなかった昔語りを実証的な歴史のかたちに描き直そうとしたと考えられる。それは、ラフ族文化を旗印とする県の経済戦略に合致するものであると同時に、ラフ族の足跡を中国の地図の上に位置づけていく作業であったと言える。

【要旨2】
本発表の目的は、中国の様々な政治的文化的な場面において、一枚岩的に表象されることの多い民族文化の多様性と、それに関する民族内部から起こっている動向について示すことである。その事例として雲南省文山のミャオ族の民族衣装を取り上げる。

中国は「統一された多民族国家」を掲げており、少数民族の習慣や文化を尊重する姿勢をみせてはいるものの、表象の場面では政治的な文脈での民族文化創出の作用が働くことが多々あり、またそのことは多くの研究者が指摘してきたことでもある。

ミャオ族の民族衣装は、『中国苗族服飾図誌』(呉仕忠編著、2000年)においては地域によって173に分類されているほど、空間的バリエーションが豊かである。しかし、観光の資源としてや、書物の表紙などに描かれるのは銀細工と刺繍といった形態に代表される貴州省の衣装がほとんどである。また表象の際には時間的変化という概念はみられない。

ミャオ族の民族衣装はその色合いの華やかさという点で特徴づけられるが、本発表が対象とする雲南省においてさらに特徴的なのは、民族衣装が大規模に既製服化していることと、それが中国内のみならず国外のモンにも流通している点である。そしてそのような既製服化や流通といった変化の背景にあるのは、それを製作・着用し続けているミャオ族自身がいかに民族衣装を選択してきたか、どのように好みを反映させてきたか、何に価値を置いてきたかといった主体的な動きなのである。

本発表では、ミャオ族の民族衣装の一般的な表象のされ方を指摘し、それに対して雲南省文山のミャオ/モン族の民族衣装がどのように変化してきたのかを提示することで、一律的ではない文化のあり方、すなわち文山の民族衣装が、これまでの民族表象の文脈とは異なるスタイルを持つことと、それが彼ら自身の価値観や暮らしにそった要求といった自発的な要因によって支えられていることを明らかにする。

研究会世話人: 速水洋子  石川登