日 時:2009年9月30日(水) 15:15~20:00
場 所:
テーマ:「災害と多文化の共生」
【スケジュール】
15:15 JR鷹取駅(神戸市)集合
15:20 出発(徒歩)
15:30-17:30 たかとりコミュニティセンターの見学 http://www.tcc117.org
*たかとりコミュニティセンターは、1995年の阪神・淡路大震災の際にボランティア活動の拠点となった鷹取教会敷地の「鷹取救援基地」がその前身で、外国籍の住民が全体の10%を占めるという地域にあります。
震災から時間が経過するにつれて、非日常の救援活動の拠点としての役割は、日常的な多文化共生のまちづくりをめざして活動を展開する団体の拠点へと移り変わり、2000年に特定非営利活動法人格を取得して現在の名称に変わりました。
移動
18:00-20:00 「草原恋」
(モンゴル・レストラン、http://www.ehappy-t.jp/shop_info.php?b=b001&shop_id=1002394のなかのゲルにて研究会
【研究会】
話題提供者:思沁夫 (大阪大学GLOCOL)
テーマ:「ゲルという小宇宙:ゲルから考えるモンゴル人の自然観」
話題提供者より:
ゲルはモンゴル人が寒さなどから身を守り、生活を快適に過ごすために設けた唯一の人工的な空間です。ここにはモンゴル人の文化、経験が凝縮されています。ゲルを通じてモンゴル人の自然観を考えることも大変興味深いアプローチと思います。私はゲルの中で育ち、ゲルを通じて多くのモンゴル人の自然認識、自然との関係を学びました。現代化の波の中でゲルは草原から消えつつあります。持続可能な発展という視点からゲルが持つ意味をもう一度考える、またゲルに反映されたモンゴル人の自然観を理解する必要があると思います。ゲルの中でゲルについて話をしようと考えてこのテーマにしました。
【活動の記録】
今回はイニシアティブ4ではじめてのフィールドトリップであり、参加者は田辺、石田、栃堀(ASAFAS)、清水、速水、西、木村(東南研)である。小規模ではあったが「大学から出る」ことの大切さをあらためて思い知らされる、よい機会となった。
最初にお話しをうかがった「たかとりコミュニティセンター」はカトリック鷹取教会の敷地内にある、「コミュニティ放送局FMわぃわぃ」や「多言語センターFACIL」など、複数のNPOのネットワークである。そこではグループ代表の吉富志津代さんに案内していただき、彼女とFMわぃわぃの日比野純一さんのお二人にお話しをうかがい、震災から15年にわたって、様々な問題に直面しながらもそれを乗り越えて続けられる活動について様々な質疑応答がなされた。
この周辺はもともと在日韓国・朝鮮人の方が多く、また仕事を求めて日系ブラジル人などの南米からの人々、そして難民としてやってきたベトナム人など多文化状況があったが、この地区が1995年の阪神淡路大震災で大きな被害を受けると、鷹取教会は、多くの部分が火災で焼けてしまったにもかかわらず、神父を中心に震災復興のひとつの拠点となった。
教会はそれまでの経緯で外国人支援のネットワークの拠点となったが、その一方で、地域とのつながり、地域のまちづくりのことも重要な問題として意識されていた。そして、みな被災者になることで、「地元の人」と「よそ者」の間の垣根が取り払われ、「日本人」「ベトナム人」という抽象的な存在ではなく、〇〇さん、××さんという顔の見える個人の付き合いになったという。そうした地域とのつながりは、活動が1999年ごろに震災から多文化共生をめざしたものへ変化するなかで、より強く意識された。今も、非常事態になると弱者やマイノリティが意識的・無意識的に排除されてしまうことがあるという震災の教訓をもとに、そうした事態が起きないように、常日頃からそうした人びとを「可視化」しておくことを目指しながら活動を続けている。特にラジオを通じた、国籍や民族を越えた、多文化のまちづくり。ただしその際、それぞれの言語、文化を尊重しながら、一方でリスナーたちがいま暮らしている場所である日本の言葉や文化への理解を深めることにも気をつけている。また、こうした活動によって行政も変わってきたし、商店街の人たちも認めてくれたという。日比野さんたちは繰り返し、地域とのつながりが重要であり、それがなければ、閉鎖的になり、乖離してしまう、と指摘した。GCOEメンバーからは感嘆や賞賛の声と共に、自らのフィールドを思い浮かべながら、こうした活動を続けていく地域の潜在力とは何なのか、と問う姿が見られた。
後半の思沁夫さんの発表は、ゲルのなかでゲルを起点にモンゴル人の自然観やコスモロジーについてお話をうかがうという、これまた貴重な経験だった。ゲルの色合いがもつ意味(大地の白と空の青)、各部位の名称と意味、ゲルを使った時間や四季の移り変わりの変化など非常に濃密なものだった。ゲルはモンゴルの遊牧生活と非常に深く結びついており、ゲルは遊牧するモンゴルの人々にとって、神や自然と文化の接点であり、生活を成り立たせるひじょうに根本的な装置である。思さんはそれを「位置と結びつかない場所、流動のなかで場所をつくる」という言い方で表現していたが、現代のグローバル化・流動化のなかで生きる人々について考える際、非常に示唆的な言葉である。
お話は彼の来歴からシベリアでの最近の調査、ロシア文学とエスノグラフィのあり方にまでおよび、フィールドでの体験に基づく深い問いを研究の視座に据えるという姿勢に、一同感銘を受けつつ時間を過ごした。
(文責 木村周平)