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「国境をはさんで、民族、文化、国境や国家について考える若手によるタイ・ビルマのカレン特集」[東南アジア学会関西地区10月例会](関連する学会・研究会)

国境をはさんで、民族、文化、国境や国家について考える若手によるタイ・ビルマのカレン特集を行います。

日 時:2009年10月24日(土)13:30~18:15
会 場:京都大学稲盛記念会館(川端通り荒神口角)3階中会議室

13:30~14:45 (質疑応答も含む)
報告1 須永和博(獨協大学外国語学部)
「「学習」という実践、あるいは「アイデンティティ化」の民族誌─
タイ北部山地カレン社会におけるコミュニティ・ベース・ツーリズム─」

15:00~16:15 (質疑応答も含む)
報告2 久保忠行(神戸大学大学院総合人間科学研究科)
「「文化」の不在:ビルマ難民(カレンニー難民)キャンプにみるNGO支援のインパクト」

16:30~17:45 (質疑応答も含む)
報告3 池田一人(東京外国語大学 非常勤講師)
「ビルマ植民地期末期における仏教徒カレンの歴史叙述―『カイン王統史』と
『クゥイン御年代記』の主張と論理』―」

総合討論

【発表要旨】

1 須永和博
国家や資本による大規模な観光開発が、自然環境やホスト社会の生活文化に大
きなインパクトを与えてきたことの反省の上にたって、地域コミュニティが主体
的に観光開発に関与していくことで、自然環境の保全とコミュニティ開発を両立
させようという、コミュニティ・ベース・エコツーリズム(CBET)やコミュニ
ティ・ベース・ツーリズム(CBT)と呼ばれる観光実践が、多くの地域で広まっ
てきている。しかし、従来的な観光研究においては、観光の受け皿としてのコ
ミュニティという概念については、なかば自明のものとして扱われ、コミュニ
ティの状況依存性や歴史性、あるいはより大きな外部システムとの節合という問
題は、等閑視されてきた。
本発表は、以上のような反省の上にたって、タイ北部山地カレン社会を事例
に、CBTに参加する「コミュニティ」の動態に接近することを目的としている。
そのなかでは、コミュニティの成員がエコツーリズム開発に参加する過程で、外
部の行為者や言説、知識との折衝を通じて新たな社会的アイデンティティを形成
し、コミュニティ内部で新たな社会性が再構成されていく過程について明らかに
したい。

2 久保忠行
本報告では、タイ・ビルマ国境の難民キャンプでの国際NGO支援のインパクト
を、支援の受け手の立場から考察する。最長で20年間にわたる難民生活をとおし
て、人々が口々に語るのは、人間関係の変化である。この変化は、「キャンプに
は文化」がないからと説明される。これを問題視する人々は、「文化」が不在だ
から、自己本位に振る舞う社会問題を生じさせているともいう。この問題は、
「標準化」「規格化」されたNGO支援と無関係ではない。
人間関係の変化は、特にキャンプ生まれの若い世代と、それ以外の者とのフリ
クションとしてあらわれている。それらは、親子関係、教師と生徒や夫婦の関
係、態度や振る舞いの違い、老人の社会的位置づけや近所づきあいのなどにみら
れる。このような社会問題を指摘するにあたって、人々は、それを「グローバル
な文化(あるいはNGO文化)があり、私たちの文化がない」とも表現する。この
事態を受けて人々は「自助組織(CBO:CommunityBased Organization)」を結成
し、NGO主体ではなく難民主体での社会問題の解決を図ろうとしている。しかし
この営みは、基本的には問題を解決させてはいない。
国際NGOによる「標準化」、「規格化」された支援枠組みは、却って難民の
「層」をつくる。この結果、人々に不均等な給料への不満、否定的な自己認識、
二重基準による行動といった「不平等」「不均等」な現実を突きつける。これら
は、現実的な不満だけではなく、人々にとってはないものとしての「権利」の啓
蒙を通して確認される。この意味で、脆弱性という意味での難民性は所与のもの
でもあり、かつ、つくられ内面化されるものでもある。
CBO活動には、個々人レベルでの助け合いもみられるが、組織の活動として見
た場合、それはNGOの「模倣」である。CBO活動は、何らかの形でNGOのやり方を
土着化し、「NGO文化」でありながらもCBOの独自性を発揮するようなものとは限
らない。CBO活動は、理念としては「NGO文化」によってもたらされた「不平等」
や、個人主義化に対処するための活動と位置づけられるが、現実には、「NGO文
化」に抗するようなものとはなっていない。つまり、難民主体のCBOの存在は、
長期化した難民キャンプが自律的な社会であることの指標とは限らない。報告者
は、これを自律的な社会がないことに対する難民側の主体的な応答と捉えたい。
それは、内面化された脆弱性(難民性)への応答であり、文化の「不在」に対処
するための(唯一の?)苦肉の策なのかもしれない。

3 池田一人
ビルマ植民地末期に相次いで出版された初めてのカレン史テキスト3種のうち、
仏教徒著者の2書を素材とする。
キリスト教徒によるカレン「民族」の主張は植民地期にさかのぼって多数見出せ
るのに対して、同時期における仏教徒側の「民族」としての名乗りの記録はごく
僅少である。したがって両書は、後世の歴史展開の中に位置づければ、ビルマ独
立(1948年)以後急速に拡大した、ビルマ民族/国民/国家主義に対抗するエス
ノナショナルなカレン意識のうち、仏教徒の民族意識形成過程の最初期を証言す
るテキストという意義をもつ。
この点をかんがみつつも、本報告では、両書にあらわれるビルマ仏教世界におけ
る正統な民族という主張と、その主張を支える宗教や王権観念の論理の特質を明
らかにすることに力点を置く。これはやがて、1930年代にいたる19世紀からのビ
ルマ世界において、伝統的な価値や概念に近代的な「民族」がいかに接ぎ木され
たか、ビルマ語の意味世界が総体としていかに変容したかを論ずることにもつな
がろう。同時に、政治的なビルマ民族主義運動の開始(ふつう1906年のYMBA設立
に起点が置かれる)を含めた、ビルマ世界における民族事象の発生を可能にさせ
た歴史的条件の検討という意義も射程に入ってくる。
従来、おもに外来・他律的なものとして論じられてきた植民地化における「民
族」の成立過程を、現地世界の歴史的連続の上で、主体的受容過程として論じう
る可能性について指摘したい。