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「オスマン朝」[「イスラーム的システムの史的展開」シリーズ](イニシアティブ1 研究会)

【活動の記録】

日 時:2010年6月4日(金)16:00~18:00
場 所:京都大学吉田キャンパス 総合研究2号館(旧工学部4号館)
4階第1講義室(AA401)

http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/access/campus/map6r_y.htm
http://www.asafas.kyoto-u.ac.jp/kias/contents/tariqa_ws/access_map.pdf

題名:「オスマン朝」
講師: 林佳世子(東京外国語大学・教授)

【概要】
本発表は、オスマン帝国の盛衰について、①1350年から1540年までの軍事支配体制の時代、②1540年から1780年までのオスマン官人支配体制の時代、③1840年から1920年までの「近代オスマン帝国」の時代の三つの区分に従って論じるものである。軍事支配体制の時代は帝国の拡大期にあたり、次のオスマン官人支配体制の時代に、戦う国家から安定統治への転換がなされた。そして、その次の「近代オスマン帝国」の時代と間の約60年間は、帝国の近代化に向けた移行期として捉えることができる。オスマン帝国では体制の変化に関わらず支配家が同じであったため、支配体制の変化が重要な分岐点となっている。本発表では、特に各時代における徴税権をめぐる制度の変化と、それをめぐる各勢力の間での競合について論じる。

 

【活動の記録】
以上の内容の発表を踏まえて、参加者からは主に次の二つの質問が出された。一点目は、軍人支配体制の時代からオスマン官人支配体制の時代への移行に関す るものであり、二点目は、徴税制度に得られた富の活用および当時の資産運用についてものであった。以下、それぞれの議論について述べる。
 

 軍人支配体制の時代には、サファヴィー朝との戦争やアラブ地域の征服が行われ、騎士勢力は官僚たちが中心の中央集権体制に対峙する有力な勢力で あった。彼らは、軍事奉仕への代償として徴税権を得るティマール制に組込まれることで勢力を維持していたものの、その次のオスマン支配体制の時代には力を 失った。そして、軍人支配体制の時代からの官僚機構が継続・発展をみせる中で、軍政官や書記官僚、ウラマーからなる官人が重用されるようになった。この点 に関して、参加者からは、オスマン官人支配体制への転換期と紙の普及期が一致することから、紙の発達によって官僚機構の発展が促されたのではという論点が 提示された。しかし、発表者によると、拡大を終えた帝国がその統治機構を発展させていく過程で、不必要なものが淘汰され必要なものが残っていった結果、官 僚機構が発達したと考えられる。そのために、紙の普及が変化を促したというよりは、発達した官僚機構の中で紙が取り入れられていったということであった。
 

 オスマン官人支配体制の時代には、ティマール制に代わって、徴税請負制(ムカーター制)、のちには終身徴税請負制(マーリキャーネ制)が導入され た。これは、実際に徴税を行っていた地方の有力者の勢力拡大を促すものであり、帝国の地方分権化を進める要因となった。その中で、徴税者によって蓄財され た富の運用について参加者からは関心が寄せられ、徴税権の売買や当時の投資の状況について議論が交わされた。
 

(文責:今井 静)