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「アッバース朝」[「イスラーム的システムの史的展開」シリーズ第3回](イニシアティブ1 研究会)

【活動の記録】

日 時:2010年7月8日(木)14:00~16:00
場 所:京都大学吉田キャンパス 総合研究2号館(旧工学部4号館)
4階第1講義室(AA401)
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/access/campus/map6r_y.htm
http://www.asafas.kyoto-u.ac.jp/kias/contents/tariqa_ws/access_map.pdf

題名:「アッバース朝」
講師: 清水和裕先生(九州大学・准教授)

【概要】
  本発表のタイトルは「もうひとつのアッバース朝史概論」とした。今回の発表では、支配者であったアラブ人をアクターとして考えていくような一般的なアッバース朝史の概論ではなく、非アラブや非ムスリムをアクターとして考えた発表とした。アッバース朝成立以降、被支配者がムスリムに改宗していきムスリムの割合が増加していった。これが王朝や社会にどのような変化をもたらしていったのか、ということに焦点を当てていく。

 

【活動の記録】
  本発表では、『もうひとつのアッバース朝史』と題してアラブ人に支配されていた、非ムスリムや、非アラブ人に着眼点をおいた発表がおこなわれた。
導入として、アッバース朝期の詩人であるアブー・ヌワースの詩の紹介を通して、アッバース朝社会では、異教徒と共存しつつ多様な社会文化が展開されているということを提示した。
まず、本論の前にアッバース朝の成立過程の確認をした。アッバース朝の成立は、アリー家の反ウマイヤ家運動にアッバース家などの他の反政府勢力が集まっていくことで革命が成就したとした。その後、アッバース家がアリー家を排除してアッバース朝が成立したが、その結果アリー家に対してアッバース家が王朝の支配の正当性が薄いことが問題として浮き上がっていったと指摘した。
ここで、アッバース朝はアラブの血統による正当性ではなく、イスラームの守護を掲げることでしか王朝の支配の正当性を保つことができなかったと分析した。ウマイヤ朝時代は少数のアラブ・ムスリムが支配地域の非アラブ・非ムスリムを支配していたという形であった。一方で、アッバース朝期にはマワーリーと呼ばれる支配階級であるアラブ・ムスリムとパトロン=クライアント関係を持った、非アラブ・ムスリムが出現し、社会のバランスが変化していったと指摘した。
このような、支配層と私的なコネクション関係を持っているマワーリーが積極的に登用されるようになった。本発表では特に、カリフの私的空間と公的な空間の行き来が許されていた宦官と少年にかんし詳しい説明があった。この説明を通して、このようなもともと奴隷の身分であった少年や宦官が政権の維持に大きくかかわっていったと指摘した。
そうしてアッバース朝期になってマワーリーが大きく社会進出していくことで、さまざまな文化が発展していったことも述べられた。こうして、非支配民が持っていた文化とそれまでのイスラームが盛んに交わっていくようになった。その結果として、ギリシア・ローマの文献をはじめとした大翻訳運動や、文学、書記術が発展していったと指摘した。
また、このマワーリーの社会進出から、大翻訳運動にかんして新たな解釈を提示した。これまでイスラーム世界にギリシア・ローマ文化が取り入れられたという解釈がされてきたが、マワーリーの従来持っていた文化がイスラーム化したと解釈すべきであると指摘がなされた。
 

(文責:井上貴智)