日時:2011年12月6日 16:00-18:00
場所:京都大学地域研究統合情報センターセミナー室(稲盛財団記念館2階213号室)
発表者:小島敬裕(京都大学地域研究統合情報センター研究員)
発表タイトル:
中国雲南省徳宏州における上座仏教と民族間関係―タイ族とタアーン族を事例として
要旨:
本発表では、中国雲南省徳宏タイ族ジンポー族自治州におけるタイ族とタアーン族の民族間関係の一側面を、上座仏教の実践に焦点をあてて明らかにする。
雲南省徳宏州は、中国西南部の高原上に位置し、ミャンマー国境に面している。
徳宏州瑞麗市およびミャンマー側のシャン州ムセ郡・ナンカン郡に位置するムンマーウ盆地において、タイ(ビルマ語ではシャン)族はおもに平地に、タアーン(中国語では徳昂、ビルマ語ではパラウン)族は山地に居住し、ともに上座仏教徒が多数を占める。
山地民と平地民の関係は、従来の研究において二項対立的に記述されることが多かった。これに対し、むしろ両者の関係性のあり方の解明を目指した研究が近年になって現れつつある。本研究もその延長上に位置づけられるが、山地民と平地民の仏教を媒介とする関係については、先行研究でも断片的な記述が見られるのみである。そこで本発表では、おもに2011年8月に徳宏州瑞麗市とシャン州ムセ郡・ナンカン郡のタイ族およびタアーン族村落で行った調査に基づき、仏教実践におけるタイ族、タアーン族の民族間関係について、具体的な事例をもとに検討する。
まず調査で明らかになったのは、瑞麗市内のタイ族村落の寺院において、出家者または女性修行者の止住する29寺院中、9寺院においてタアーン族の出家者・女性修行者が止住していることである。その全員がミャンマー側のシャン州の出身である。タイ族の在家者がタアーン族の出家者・女性修行者を招請する第一の要因は、文革後に出家者が不在となった寺院の管理者を必要としているためである。またシャン州ムセ郡・ナンカン郡における経済発展にともない、タイ族見習僧が減少しつつあることも要因として挙げられる。タアーン族の出家者や女性修行者にとっても、経済的に豊かな中国側のタイ族寺院では、ミャンマー側のタアーン寺院より多くの布施が集まるという利点がある。こうした互恵的な関係に基づいて、中国側のタイ族寺院にタアーン族の出家者・女性修行者が招請されている実態を明らかにする。
一方のタアーン族も、タイ族の文化を積極的に受容してきた。独自の文字を持たなかったタアーンの仏教徒たちは、タイ語で誦経し、タイ文字で経典を筆写するのが一般的であった。しかし特に近年、平地民との通婚が増加した結果、タアーン語を話すことのできない若者が増加している。そのためタアーン文化の消滅を危惧するミャンマー側の民族エリートたちは、ビルマ文字を借用したタアーン文字を1972年に成立させた。また1990年代からミャンマー側で、2010年からは中国側の徳宏州においてもタアーン文字の教育が開始された。さらに近年ではタアーン文字で経典を筆写し、タアーン語で誦経するホールー(在家の誦経専門家)も現れている。このようにタアーン族は平地民の文化を単に受容するのみならず、それを流用することによって独自の実践を構築しつつあることを示す。